誕生

オープンのきっかけ

私はオーストラリアに2年間近く住んでいた時、日本食レストランで働いていました。
初めてのまかないが照り焼きチキンでした。

衝撃でした。

元々照り焼きが好きなだけに美味しいだろな、と思って食べた一口目で”今までに食べた事がない物を食べた感覚”に襲われました。

”こんなにも美味しい照り焼きがあるなんて!”と思わず大将と女将に「これはヤバいです!
今まで食べた照り焼きでダントツで一番です!」と…それからほぼ毎日照り焼き三昧!
定休日の前日も余った照り焼きチキンを持って帰り次の日の晩御飯に食べていました。

毎日食べても飽きない、それくらい美味しかったのです。

そのお店の客層はほぼ全員と言ってもいいくらいネイティブの方々で、日本人のお客様は大将や女将の知り合いくらいでした。その中でオーダーの7割くらいは照り焼きチキンであったり照り焼きの魚であったりと照り焼きばかりでした。

勿論お寿司や親子丼、カツなどの提供もしておりました。
私は元々、違う目的でオーストラリアに行ってましたが、オーストラリアに行く前に京都に住んでいた事がありました。

その時の環境を思い浮かべた時に、”京都には沢山の海外の方々がいてこんなにも照り焼きが海外の方々に受けるのであるならば、照り焼きをメインにしたお店を出したら面白いのでは”、”大将と女将が京都の方で、京都の人達にも受ける味なのかもしれない”と思いました。

大将が住んでいたカナダやアメリカでも照り焼きの甘辛いタレが好評だったと言っており、
以上がお店をオープンするきっかけとなっております。

 

 オープンに至るまで
照り焼きのお店を出すには、まず大将の作っていたタレを作れる様にならなければならないと思いました。

早速、試作をするが全然違う味になったりと上手くいかず、大将がタレを作る時に準備してた食材やタレについて質問した時の返答を思い出し、何回も何回も作り直しました。 そうしてようやく、かなり近い味までもっていく事ができました。

次に、お店を出す「場所選び」でした。
きっかけの場所で海外の方にも来てもらいたいと言ってるにも関わらず”何故南区?何故上鳥羽?”と不思議に思う方が大半だと思います。

勿論、最初に祇園や市内中心部・京都駅付近を探しました。しかし想像以上に物件取得費用が高く、貯金と借入金を足しても足りないかもしれないと…さてどうしよう…。

そのタイミングの時に、周りの方々に試食をしてもらっており、”この味なら海外の方でなくても日本人でも来てくれると思うよ”との意見がちらほらと。 ならば中心部から外れた安い場所で!と思い今の場所になりました。しかし、今思えば「早くお店を出したい」と思う気持ちが先走り、2年近く経営してきましたが正直な意見として立地は完全にミスりました。

苦難の日々。そして今。

2020年1月20日オープン。
そしてなんとすぐコロナ

ようやくオープンまでたどり着く事ができましたが、すぐコロナ。お客様が全然来ません。

コロナだから来ないのか…コロナでない時のデータもないだけに影響が全くない訳ではないと思うが、どれ程の影響を受けてるかも分からない。いろいろな事を考えました。

繁盛店は相変わらず人が並んでたりするのを見ると、自分の店が悪いのではと…初期費用にお金をかけれず、内外装が自分の思い描いていた様に出来てないし、”照り焼きのお店なんて大丈夫?うまくいくの?”そんな事を言われたりした事もあり、その言葉が頭を横切る。

照り焼きの専門店がニッチだと分かってはいたが、そんなニッチお店を出したのが間違いだったのか、利益なんて全くありません。”何の為に働いてるの?”そんな事言われると悔しいですよね。もう頭の中ぐちゃぐちゃでした。

場所選びもミスだと思っていたが、このままネガティブに考えていても駄目だと思いポジティブに考える様に切り替えました。

– リモートワークに切り替わり、オフィス街であればもっと酷い状況だったかもしれない。
– まだ中小企業団地で周りの会社の方々に来ていただけるだけ良しとしなければならない。と。

あとはウーバーなどのデリバリーサービスで何とか売上をあげようと思いました。
だがそれでも厳しい家賃や光熱費はどうにもなりませんでした。削れるとしたら人件費しかない。

働いてくれているアルバイトの人達には申し訳ないが、生き残る為にはと丸一年程は夜の営業と日曜日の営業はワンオペで回した。カウンター10席だけのお店なので、そこまで経費がかからないのでなんとか耐える事ができました。

 

2021年10月13日「街角トレジャー」に取材に来て頂く事ができました。これは私自身の実力でも何でもありません、運が良かっただけです。約1ヶ月後に放送されましたが、想像以上の反響で食材をきらしてしまい本来の閉店より早く閉店させていただいた日が3日程ありました。初めての経験で対応しきれず、せっかくご来店して下さったお客様に大変申し訳ない事をしてしまったと反省しております。

約2週間程でピークは終わりましたが、お客様が来店するしないの前にまずは”こんなお店があるんだ”と認知してもらう事が大事だと思っており、それに大きな影響を与えてくれた事をテレビ関係者の方々に感謝しております。

「私はまかないが毎回テリチキでも飽きない」「僕は働きに来てると言うよりも店長の作るまかないを食べに来てるんです」と言ってくれる従業員、そしてテレビ番組に応募してくれる従業員、美味しいいと言って下さるお客様、全てが私の頑張る原動力となっております。

2023年大阪市へ移転

今年2023年大阪市へ移転する事となりました。京都での物件の更新ができなくなり移転先探しをしなければならなくなりました。ニッチな業種の為人口密度の濃いエリアに出店した方が良いと考え関西最大級のビジネスエリアの本町に出店を決意致しました。ランチタイムに周りのサラリーマンの方々にリーズナブルな価格で美味しい照り焼き料理を堪能して頂ければ幸いで御座居ます。

京都での最終営業3日間で沢山のお客様が来店して下さり大変感謝しております。大阪市でも当店のファンを沢山獲得していけるように頑張りますので応援宜しくお願い致します。

長々となりましたがホームページをリメイクするに至って書かさせて頂きました、読んで下さり、ありがとうございます。

 

店名は、何のお店なのかすぐ分かるようにそのまんまですが『てりやき屋』です。ロゴマークに関してはよく”京都っぽいね”と言われるのですが全く意識していません。私自身の家庭内事情にはなりますが、身内がものすごく仲が悪く、いろいろと複雑な事情がありました。

祖父が危篤になった時、祖父のお葬式を知らされる事がなく全て終わった後に知らされました。私からすれば、優しい祖父でした。かすかな記憶ですが、私が幼い頃はそんな事はなくみんなで花見をしながらお弁当を食べ楽しくしていました。

山のふもとにある公園でしたのでまず「山」を入れ、花見をしてたので「桜」を散らし、川は地元を流れてる「国領川」。幼き頃の良き思い出をロゴマークとして掲げ商売をしてる姿を祖父が見つけ、天から見守ってくれたらいいなとそんな思いからこのロゴマークはできております。

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